Opinion; 時間をこえて (Noir)

歴史をふまえ、バランスのとれた時事考察を!

  • | -------- | 
  • スポンサーサイト

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。
  • | 2005-05-30 | 
  • ドタキャンの理由(まとめ); 靖国 vs.モンゴル

    先日の『自大主義?; 世界、中国、そして日本』及びそれに続くモンゴル関連のエントリーで述べた、「呉副首相のドタキャンの靖国という理由は、呉副首相の来日中、靖国関連の大勢に変化がなかったためおかしい。」と、「ドタキャンは広い視野で観ると、大勢に変化のあった対モンゴル政策の綿密な打ち合わせのため。」という私の考察に対し、渚のバラードさんに以下の反論を頂きました。
    中国政府が翌日になって「靖国参拝が問題だった」と公式表明した件については、中国政府部内の不統一が真の理由のように思われますが。

    貴兄が語るところの、モンゴル対応でドタキャンしたとするならば、こちらの方が余程論理性がないと僕は思います。彼女は、帰国当日も、民主党の岡田氏や、日経連の奥田会長と会見しており、小泉首相との会見(精々1時間程度か)を突然キャンセルしてまで、モンゴル対応のために急遽帰国したとは、非常に考え難いのです。しかも、羽田を発った後に到着したのは大連であり、そこで一泊しているそうですから、小泉首相に会見する時間がなかったとは、このことからも到底考えられないのですが。

    そこで、渚のバラードさんへのお返事と、私自身のこの事件に関するまとめの意味を兼ねて、このエントリーを新しく立ち上げることにしました。

    「中国政府部内の不統一」とは、“靖国は関係ない”派と“靖国が理由”派の間の力点が、前者から後者に移ったため、ドタキャンの理由が「靖国は関係ない」から「靖国が理由」になったと理解し、話を進めます。

    真実は渚のバラードさんのおっしゃる通りかもしれません。
    私にも、もちろん真相は分からず、推定しかできません。

    ただ、中国“国内の派閥問題”によって、翌日すぐに理由を変えるぐらいなら、つまり派閥間のバランスがそこまで微妙な状態だったのでしたら、最初に外務省から「帰国に靖国は関係あるか?」と聞かれたとき、「関係ない。」と断言はせず、例えば「靖国?靖国参拝は日中友好を築く妨げである。」というふうに、帰国と関係あるようでいて同時に関係ないような、後に好きなように説明できる――中国の好きな――言質を取られない、曖昧な回答をしていたのではないでしょうか。

    この最初の時点での受け答えは、とても重要なことで、最初は帰国理由を靖国にするつもりはさらさらなかったことを――つまり実際に靖国が理由ではなかったにちがいないことを――強く示唆しています。(それ以降の、北京の発言、もしくは○○筋によると○○などという裏の取れない情報は、政治的要因による捏造、隠蔽と誤魔化しの繰り返しでしかないはずですので、本当の帰国理由を考えるときには、基本的には無視するべきだと思います。)

    それに、理由を‘180度’変えなければならないほど派閥間の力関係に重大な変化あって、“敵性”派閥が強大になってのでしたら、大連などの地方都市で降りず、北京まで帰って、“敵性”派閥に忠誠を誓った後、モンゴルに発つのが普通だと思います。

    今回のモンゴルの選挙は、誰もが決選投票に持ち込まれると予想していました。北京もその予想に則って呉副首相の来日スケジュールを立てていたはずです。

    しかし、北京にとって内政上の問題によりモンゴルは日本より重要ですから、念のために、呉副首相が来日する前から、モンゴルの選挙の開票の進み具合によっては、いつでも緊急会議ができるように準備をしていたのだと思います。

    外遊中の呉副首相のためには、緊急で移動するには空と道の渋滞のせいで不便な北京より、比較的渋滞の少ない大連のほうが良いと判断し、CCTVを通じて会議に参加できる準備をしていたのでしょう。(ちなみに地理的に日本とモンゴルの間にある、河北・東北地方で、渋滞が“ない”大都市は大連だけです。)

    呉副首相自身は、自分の日本でのスケジュールをこなした後、前もって決められていた決選投票対策を持ってモンゴル入りをする可能性が高いと考えていたはずです。小泉さんとの会見だけをキャンセルしたのは、帰国命令が来て出国準備が整った時間が、たまたま首相と会う前だったというだけだと思います
    23日午前9時過ぎ、呉副首相と河野衆院議長が議長公邸で会談していた際、副首相あてに電話があった。副首相は「本国から急きょ帰国するように指示があった」と語ったという。谷内正太郎外務次官に対しては、同日午前、中国の王毅駐日大使から電話で「公務のため、本国へ帰る必要が生じた。他意はない」との連絡があった。(共同)

    このあたりで、もし私に「何時にモンゴルの選挙管理委員会が結果を出し、何時にマスコミに通達したか」というような具体的な数字が出せれば、私の考察への信憑性も格段に上がるはずなのですが、23日の正午前にはモンゴルのメディアが選挙管理委員会の結果報告を報道したことを知っているぐらいで、残念ながら正確な時間を知りません。

    北京には、東京と違い、何か起こると直ちに緊急会議を開き対処する習慣があります。(記憶に新しいところでは、北京の反日デモが自分たちの想定していたのより大きくなると、2時間後には首脳陣の緊急会議が開かれていました。)それに、呉副首相に「先約があるから会議を始めるのを1時間ほど待っていて下さい」と会議の開始時間を遅らせる決定権はもちろんないでしょうし、たいした内容などないと最初から分かりきっている小泉さんとの会合ですから、他の首脳陣を待たせる理由など考えられません。1,2時間の問題だったら待つはずという日本的な見解で、時間の長さより内容を重視する北京の行動を読むべきではないと思います。

    以上の点から総合して、『中国政府が翌日になって「靖国参拝が問題だった」と公式表明した』のは、“国内の派閥問題”ではなく、例によって日本のマスコミが何も考えず「靖国のせい?」「靖国!」と騒いでいたため便乗したと推定します。

    結局、事柄の性質上、推定の範囲を超えられないのですが、よろしければご意見をお聞かせ下さい。
  • | 2005-05-27 | 
  • 日本の外交;100年前vs.現在

    今日は日本海海戦の100周年記念日です。私にとっては個人的に思い入れのある海戦なのですが、そのことよりも、『モンゴルと中国(II); ジンギスカン論争と中国外交』のコメント欄でAromaさんにお話した通り、外務省の話題です。

    日露戦争の講和会議に出席された小村寿太郎さんは、あちこちで書かれ、本になり、みなさまもご存知のように、現実をデータに沿ってしっかり見つめ、バランスの取れた分析をされる外交官でした。

    残念ながら、講和条約締結後、「戦争には勝ったが外交で負けた」と国民が叫んだことと、実際に賠償金を取れなかったことから、海外では今でも、「外交はウィッテの勝ち」と一般的に考えられています。

    しかし私は、相手にはまだ余力があり、しかも日本に戦争を継続する力がもうないことを相手に推定されているにもかかわらず、戦争を終結したばかりか、目に見えるもの――南樺太――を持ち帰った小村さんは、すごい人だと思います。

    さて、現在の外交官はどうでしょう?

    2001年の夏のことです。
    当時は、1994年に起こったルアンダの虐殺に関する真相がやっと明らかにされ始めた頃です。

    その数ヶ月前に、OAU/AU(Organization of African Unity/African Union:アフリカのEUの卵のようなもの)の独立委員会が調査し、「アメリカの不介入主義も良くないが、見て見ぬふりをしたカトリック教会とフランスの責任が一番重い」という結論を出したレポートが国連に提出されたため、欧米の“まじめ”な新聞の一面やコラムで取り上げられ、世界世論――といっても欧米の世論ですが――は、「ルアンダの虐殺は誰の責任か?」で渦巻いていたときです。

    運良く、フレンチ・アフリカ地区――旧フランス・ベルギーの植民地(象牙海岸からアフリカの真ん中あたりの地区:ガーナ・トーゴからルアンダのあたり)――を専門に仕事をなされている外務省の方に出会い、お話をする機会がありました。

    私は日本がOAUのレポートに関してどう考えているのか知りませんでしたので、会話がアフリカの話題になったときに、聞いてみました。すると、その方は…


    「そんなレポートが出ているのですか?」


    私は一瞬で、文字通り石化しました。
    (え? 外務省の、しかもあの地域のプロでしょ?)
    これを読まれているみなさまも、唖然とされていることでしょう。

    もちろん、虐殺の責任問題が話題になっていることもご存知ありませんでした。
    もしかして、外務省って、ヤフーとかグーグルの日本語検索で、海外の情報を集めているのでしょうか?(笑)
    日本のマスコミも――私の知る限り――沈黙していましたから、検索にかからなかったのかもしれません。

    現在の外務省が、今現在起こっている事象のデータさえもちゃんと集められていないのには驚かされた出来事でした。

    最後に、外務省のために付け加えておきます。
    私は在外公館で、何度か外務省の方のお世話になったことがあります。みなさん、礼儀正しくて、とても良い方ばかりです。
    宿泊していた友人宅が泥棒に入られ、パスポートも何もかも盗まれて困っていたとき、「お金は大丈夫ですか?」と聞いてくれた領事さんは、まるで私の父親ででもあるかのように親身になってくれ、感動したこともあります。ありがとうございました。

    追伸。
    外務省のみなさんへ
    外交面でも、これぐらい力を入れて頑張って下さいね。
    100年前に負けていますよ。
    まずは、たとえ日本に直接関係なさそうでも、国際機関のレポートぐらい読んで、そして海外の新聞も毎日読んで、データの収集から始めましょう!

    «  | HOME |  »

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。